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「広島学講座」に登壇したウクライナの識者に学ぶ②

2022/04/25

「広島学講座に登壇したウクライナの識者に学ぶ」――第2回目は首都・キーフ(キエフ)で小児科医として働いたブヤーロ・ヴィクトル医師です。

<第132回「広島学講座」ブヤーロ・ヴィクトル小児科医>

肥沃な穀倉地帯とひまわり畑。街には色とりどりの教会が建ち並ぶ。この美しいウクライナの町を、チェルノブイリ原発事故の悲劇が襲ったのは1986年でした。 

事故から22年がたった2008年、広島学講座に登壇したヴィクトル医師は、この時の出来事を述懐しながら語りました。

「1986年4月26日の午前1時23分、あの事故は私たちの生活を一変させました。しかし、この出来事を悲劇で終わらせるのではなく、この事故から教訓を引き出すことが、新たな被害の拡散を防ぐのです」

チェルノブイリ原発事故では、広島に投下された原爆の数百倍もの放射線が放出されたとも言われています。

ヴィクトル医師は集中治療室に立ち、事故の後遺症を患いながらも懸命に生きようとする子どもたちに向き合いました。

日本からの送られた医療支援や財政支援は、直接的に多くの命を救いましたが、故郷を追われた子どもたちには、メンタルのケアが必要でした。

その中で、病床に沈む彼らを喜ばせたのは、日本の子どもたちから届けられた折り鶴でした。その真心が、彼らの生きる原動力となったのです。

〝子どもの幸福のために〟と医療現場に立ち続けたヴィクトル医師は、講座の最後に強く訴えました。

「今の地球上のどんな国であれ、世界のどんな人であれ、危険が存在し、人々の争いがある限り、全く安心ではいられません。未来の子どもたちに責任を感じているのなら、皆で力を合わせて、その課題に立ち向かっていくことが大切です」   

いつの時代も、争いの犠牲になるのは、何の罪もない子どもたちです。

ロシアとの戦争が続くウクライナでは、今も多くの医師や看護師たちが医療現場の最前線で、目の前の命を見つめています。

子どもたちの未来に何を残すことができるのでしょうか。大人たちの責任が今、問われています。(美)