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「広島学講座」に登壇したウクライナの識者に学ぶ③

2022/05/06

ウクライナと日本の外交関係が樹立されたのは1992年1月26日。今年で30周年を迎えました。「広島学講座に登壇したウクライナの識者に学ぶ」――最終回は、これまで両国の友好の架け橋となって尽力してきたミコラ・クリニチ駐日大使です。

<第144回「広島学講座」 ミコラ・クリニチ駐日大使>

チェルノブイリ原発事故から25年がたった2011年、日本では福島第一原発の事故が起こりました。この年に広島を訪れたクリニチ大使は、「挑戦と応戦で乗り越えたウクライナ」と題する講座の中で語りました。

「チェルノブイリの復興のために真っ先に応援して下さったのが日本でした。創価学会の青年部の方々が医薬品を届けていただきました。だからこそ、私たちも真っ先に支援をしたのです」

クリニチ大使には、反核への強い思いがありました。1991年のソ連崩壊時、ウクライナには1900個以上の核弾頭が存在し、世界第3位の核大国でした。しかし、核兵器反対の声が高まり、96年に完全非核化を成し遂げたのです。

クリニチ大使は寄稿文でこう語っています。

「ウクライナ人と日本人ほど、核不拡散と全廃のために積極的に働きかけられる国民はいません」

2022年の現在、テレビや新聞ではウクライナでの戦争の様子が伝えられ、見るに堪えない光景が広がっています。ロシアが核使用を示唆するなど混沌とする中、日本では「核共有」の議論や、「非核三原則の見直し」といった声が出始めました。しかし、その発想の前提にあるのは「核抑止論」です。

核兵器による平和の維持が、いかに脆く、幻想にすぎないかは、米露の核軍拡競争の歴史に照らして明らかです。

「人類は核兵器と共存できない!」というメッセージを、今こそ、被爆地・広島から全世界へ発信していかなければなりません。

そして、30年という両国の友好の歩みを感じながら、さらなる未来へ向かって手を取り合い、誰もが安心して暮らせる平和な世界を共に築いていきたいと思います。

最後に、ウクライナの識者であるズグロフスキー氏と池田先生の対談集『平和の朝(あした)へ 教育の大光』に記された池田先生の言葉を紹介します。

「どんな闇夜にも、必ず希望の朝は来る。(中略)。両国の人々が厳然と示してきた人間の不屈の心、希望の心、同苦の心、連帯の心――。この心を幾重にも広げ、強固なものとしゆくかぎり、たとえ時間はかかったとしても、克服できない困難は断じてない」

(美)