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被爆者のことば②小倉桂子さん

2019/04/16

被爆者のことば②小倉桂子さん


「もっと人びとの心に届く方法はないだろうか」

 

小倉さんは、8歳の時に爆心地から2.4㎞離れた牛田町の自宅で被爆。

家の北側の道路で一人で遊んでいた時、突然、目もくらむような閃光に包まれ、次の瞬間、爆風のすごい力で地面にたたきつけられ気を失いました。気がつくと、夜になったのかと思うほど、あたりは真っ暗。近所のわらぶき屋根が勢いよく燃え上がっていました。固い柱やコンクリートにはまるで埋め込まれたようにガラス片が刺さっています。

東練兵場から戻ってきたお兄さんは顔や手に火傷を負いながら、「広島中が火の海だ!」と、逃げてくる途中で見てきた光景を語りました。

半壊した自宅は、負傷した親族や近所の人、知人であふれかえり、お姉さんは叔父さんの背中に刺さったガラス片を泣きながら抜きました。家の中には血膿、焦げた頭髪、汚物の臭いが充満しました。

 

 

小倉さんは、亡きご主人・馨さんの遺志を継ぎ、「原爆・核問題」に向き合っています。

1984年に「平和のためのヒロシマ通訳者グループ・HIP」を設立。

必死で勉強し、英語で被爆体験の証言活動も続けておられます。

ご夫婦の友人であるロベルト・ユンク氏から、ご主人が亡くなられて無気力になっていた小倉さんに、次のような言葉を掛けられ、通訳を頼まれたのがきっかけだそうです。「肉親の死という悲しみを知り、原爆の恐ろしさを知っているあなたこそが適任なのです」

 

小倉さんは語ります。

「受け止め方や感じ方は人によってさまざまなので、相手によって話し方を変えるという努力をずっと続けてきました。」

 「いつも、もっと人びとの心に届く方法はないだろうかと日々悩みながら、核兵器の恐ろしさと生命の尊さを多くの人に伝えるために、平和への歩みを決して止めてはいけないと心に決めているのです。」