HISTORY ヒストリー

広島・長崎
 国立追悼平和祈念館へ
被爆証言を寄贈

被爆証言を寄贈

概要

かつて「75年は草木も生えぬ」と言われ、その被爆75年を迎えた2020年、広島と長崎の創価学会は、これまで収録・保存してきた被爆証言の資料を、両県の国立原爆死没者追悼平和祈念館に贈呈することを決定し、7月30~31日、寄贈式がそれぞれ行われました。

悲惨な歴史を永遠に残し、後世に語り継いでいくために、学会では青年部や婦人部が中心となり、半世紀以上にわたって戦争・被爆証言の聞き取りを実施してきました。広島と長崎の創価学会は360を超える被爆証言映像と音声を保存しており、今回、こうした貴重な資料をより広く活用できるよう両祈念館に寄贈することになりました。

創価学会は、戦争を知らない後世に被爆の実相を永く残し、核兵器廃絶への挑戦と行動を、今後も続けて参ります。

広島・寄贈式

被爆証言を寄贈

広島の寄贈式は7月31日、広島市の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で開催。1970年代以降に実施してきた聞き取りの中から、承諾を得た映像92点、音声72点、合計164点を寄贈しました。式には映像資料を提供した被爆者の増井健三さん、竹岡智佐子さんのほか、塩出総広島長、桜尾総広島婦人部長、淀屋広島平和推進部長、青年部代表が出席しました。

式典では塩出総広島長があいさつし、出席した増井さんの被爆証言の映像を視聴。
久保雅之館長は、「被爆者の高齢化が一段と進んでいる中、40年にわたって集積してきた証言記録には大きな意義がある」と述べました。

マスコミ各社のニュースはこちらから

中国新聞社

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=99654


塩出総広島長(右)から、久保館長へ被爆証言資料が手渡された

塩出総広島長(右)から、
久保館長へ被爆証言資料が手渡された

式には、寄贈した被爆者2名も参加

式には、寄贈した被爆者2名も参加

久保館長から、創価学会に「感謝状」が贈呈された

久保館長から、創価学会に「感謝状」が贈呈された

寄贈した資料のオリジナルテープは、今後も会館で保管する

寄贈した資料のオリジナルテープは、
今後も会館で保管する

寄贈した被爆証言から

高科澄子(たかしな・すみこ)さん

高科澄子(たかしな・すみこ)さん
被爆時年齢:19歳
収録:2005年
収録時年齢:59歳
直接被爆
被爆地:天満町(爆心地から1.3km)

8月6日は、町内割り当ての建物疎開作業中、天満町(現・西区)で被爆しました。救急箱の点検をしていた時、爆風で小屋の下敷きに。あわてて防空頭巾をつけて、千田町(現・中区)の自宅まで、道端の遺体を見ないようにして必死で走りました。電車道から自宅の2階が焼け落ちるのが見えました。

3日間、母を探し回りましたが、見つかりません。4日目に宇品(現・南区)の運輸部にいることが分かり、全身包帯姿の母と再会。その後、母と2人で世羅町の叔母の家でお世話になり、治療に当たりました。1週間目に、「チチキトク、スグコイ」の電報で、私一人が草津小学校(現・西区)の臨時病院に行きました。父は、私が探し回って買ってきたイチジクを喜んで食べ、「お前の花嫁姿を見たかった」と言って亡くなりました。草津の山で遺体を焼き、翌朝、遺骨を取りに行き、背中に背負って線路伝いに歩いて三原市のおばさんのところに行きました。

そこに着いたとたん、私は高熱と疲労で三日三晩、意識不明になったそうです。髪の毛は抜け、丸坊主に。広島銀行に就職が決まっていたので、カツラをかぶって三原支店に勤務することになりました。

結婚し、2人の子どもを出産。原爆の後遺症で変形性脊髄症、糖尿病、腎臓、脳梗塞などいくつも病気をしています。

しかし、死ぬことしか考えてなかった私が、今では戦争のない世界平和を望む自分になれました。戦争は、一部の指導者ではなく、多くの民衆が塗炭の苦しみをなめることになります。核兵器は絶対にいけません。若い人には、勇気をもって正しいことを行ってほしい。戦争をしないように、頑張ってほしいです。

植木正雄(うえき・まさお)さん

被爆者:植木正雄(うえき・まさお)さん
被爆時年齢:38歳
収録:1997年
収録時年齢:90歳
直接被爆
被爆地:昭和町(爆心地から1.6km)

昭和町の自宅に、妊娠9ケ月の妻、8歳の長女、5歳の長男といました。突然、雷のようにピカッと光った途端、家の二階が崩壊して真っ暗に。玄関近くにいた娘は先に抜け出せたようですが、長男が「お母ちゃん、抜けられん。助けてー」と叫び、妻も息子の名前を叫んでいました。一階にいた私は右手を落下物に挟まれて動けません。何とか脱出できましたが、隣の家がどんどん燃えています。先に逃げ出していた娘と裸足のまま、迫りくる火から命からがら逃げ、祖母の住む福木村(現・東区)へ。原爆の急性障害でしょうか、しばらくの間、私も娘も、下痢、嘔吐、髪の毛が抜けたりしました。数日後、妻の親戚が、妻と長男とお腹の赤ちゃんを「連れて戻ったよ」と訪問してくれました。「これじゃ」と渡されたのは、風呂敷に包まれた骨壺。「生きたまま焼かれて、亡くなった」と聞き、声をあげて泣きました。

戦後、農協の売店で真面目に働きました。良い方々に恵まれ、家も建ててもらい、母と娘と3人で暮らしました。何度も再婚を勧められました。しかし、母を亡くした娘に、後妻を「お母さん」と言わせるのは無理があり、後妻にも「この子を可愛がってくれ」というのも無理があるでしょう。私は、一生涯、再婚しないと決め、今日まで一人で頑張ってきました。

原爆を思い出すと針を刺すように辛いです。家族が原爆で亡くなったことは今でも忘れられませんが、涙だけこぼしていてはいけない。朗らかに正直に生きていきたいです。

張福順(チャン・ポクスン)さん

張福順(チャン・ポクスン)さん
被爆時年齢:12歳
収録:1996年
収録時年齢:63歳
入市被爆
母と知人を捜しに、広島県比婆郡(現・庄原市)から広島市に入市

父親は韓国で農業を営み、労働者として家族で日本へ渡りました。大阪で生まれた私は日本人から「おまえ」「おい」と呼ばれ、石を投げつけられる生活でした。家では韓国語。外では日本語。言葉が分からず大変、苦労しました。農家の働き手として、広島県比婆郡(現・庄原市)に引越。朝鮮人一家は私達だけで、貧乏な生活でした。

昭和20年8月、広島に新型爆弾が落ちたと軍の人から聞きました。数日後、知人を探すため、母と一緒に戸坂(現・東区)や中島(現・中区)を歩き回りました。舟入病院で見つけたおばさんは、自分もやけどを追っているのに、全身焼けただれた息子に膝枕をし、傷口に群がるたくさんのハエを追い払っていました。

おばさんは「医者や薬が足らんけぇ、朝鮮人までは手がまわらんそうな。このまま死ぬのを待つだけじゃ」と泣いていました。

「アイゴー(哀号)!アイゴー!」。突然座り込んだ母は、大地をこぶしで何度も叩きつけ、故郷の言葉で絶叫しました。「国を取られ、日本まで連れてこられ、牛馬のようにこき使い、ひと思いに殺さず、何の罪でこうやって、半焼きにして苦しめるのか!生きるも死ぬも差別するのか!」生まれて初めて聞いた母の悲痛な叫びでした。

結婚後はずっと病弱で、家事も満足に出来なかったです。子どもが3人いますが、たくさん流産もしました。私、原爆だけは絶対に憎みます。

あいさつ

創価学会 塩出総広島長 寄贈あいさつ

塩出総広島長

本日、広島創価学会が1979年から2005年に収録した151名分164点(音声72点、映像92点) の資料を寄贈させて頂きます。ご本人または御遺族に承諾を頂く過程は予想以上の労作業でしたが、寄贈者からは自身や両親・祖父母の体験が祈念館に寄贈・保管されることを大変喜び、「被爆者の声が世界に届きますように」「平和のお役に立てることが、この上ない喜びです」との多くの嬉しい声が届いています。

私たちは今後も青年を中心に、不断の努力で被爆者の無念、平和への思いを継承していくことをお誓いします。

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 久保館長あいさつ

久保雅之 館長

被爆者が高齢化し、体験を聞く機会が少なくなるなか、貴重な資料を頂いたことに、感謝申し上げます。特に、承諾書を頂くことが難しくなっている昨今、本日寄贈された資料は、個別に承諾書を頂いたことで、インターネット配信含めて更なる編集や発信をしていくことができると考えています。大きな意味があり、価値のある資料です。当館として大切に保管し、最大限に活用して参ります。

2005年(被爆60年)に聞き取りをした岡田さん

岡田雅子さん

2005年6月、女子部の友と聞き取りに臨みました。被爆者の小林さん(当時74歳)は、学徒動員で働いていた国鉄宇品駅から電車に乗って、下宿先の己斐に帰る途中、皆実町あたりで被爆。14歳でした。上半身を大火傷し、言葉に尽くせない惨事を乗り越えてこられた体験でした。

実は、「被爆体験を初めて話した」とのこと。戦後60年経過して「原爆は絶対に使ってはいけない。ピカドンは二度と起こしてはいけない」と言われていたことが印象的でした。

私も被爆3世です。「被爆体験を直接聞くことができる私たちが、語り継いでいかなくては」と、女子部時代から平和運動に取り組んできました。結婚や出産を経て、ヒロシマの心を少しでも子どもに伝えたいと、2019年は4歳の長男を連れて「被爆体験を聞く会」や「広島学講座」にも積極的に参加しました。

核兵器なき世界を目指して、「“一人を大切にする心”が“平和の心”」との精神を胸に、今いる場所で平和の連帯を拡げていきます。(広島市安佐南区)

長崎・寄贈式

長崎寄贈式①

長崎寄贈式②

長崎の寄贈式は7月30日、長崎市の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で行われました。

寄贈した資料は、青年部が被爆50年の折に聞き取った証言映像。そのうち、本人や家族から承諾を得た41人分を贈呈しました。

式典では三浦長崎総県長があいさつ。黒川智夫館長は幅広い世代の明瞭な証言をまとめた貴重な資料であると述べ、同館を訪れた人だけでなく、インターネットを通じても広く紹介したいと述べました。