ACTIVITY 主な活動

被爆体験を聞く会

被爆体験を聞く会

被爆の体験、広島の”平和の心”を永遠に受け継ごう!

2004年7月から広島女性平和委員会が取り組んできた「被爆体験を聞く会」は毎年、被爆者を講師に招き、開催してきました。2012年には、福山女性平和委員会が「福山空襲・被爆体験を聞く会」を開催。被爆体験を学び、広島の“平和の心”を受け継ぎながら、平和の連帯を築いていく――。広島女性平和委員会は、女性の豊かな感性で、これからも展示活動をはじめ、“平和のネットワーク”を、さらに広げていきます。

開催報告

第19回 被爆体験を聞く会を開催

77回目の原爆忌を迎えた8月6日夜、創価学会広島女性平和委員会が主催する、第19回「被爆体験を聞く会」がオンラインで開催され、
5,000名を超える視聴者が参加しました。
冒頭、広島女性平和委員会が作成した「ヒロシマピースウォーク」と題する、平和記念公園内のモニュメントを紹介する動画を視聴。

その後、濱本松子さん(85)が被爆体験を語りました。
濱本さんは8歳の時、爆心地から4.1km離れた、現在の広島市南区宇品で被爆。
防空壕に逃げる際、ガラスの破片が足に刺さり、今でも体の中に残っていると言います。
これまで、何度か人前で被爆体験を語ろうとされましたが、その度に胸が苦しくなり、どうしても語ることができませんでした。
2020年(被爆75年)に出版された書籍「75-未来へつなぐヒロシマの心」で高校生の聞き取りに応じ、初めて被爆体験を語ってくださいました。
今回の講師を依頼された翌日、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発。
濱本さんは「今こそ伝えなければ!」と勇気を奮い起こして語り、当時を振り返り、「家族の幸せを奪う戦争は絶対にいけない」と強調されました。


第18回 被爆体験を聞く会を開催

広島女性平和委員会主催の第18回「被爆体験を聞く会」がオンラインで開催され、被爆者である中瀬百合子(なかせ・ゆりこ)さんが講演をしました。

中瀬さんは、アメリカの西海岸に位置するセバストポール市生まれ。幼い頃に広島に家族とともに移り住み、15歳の時に爆心地から3キロメートルにある、旧広島陸軍糧秣支廠で被爆。自宅も焼かれ、母親は顔に大やけどを負いました。日本とアメリカの両方に故郷を持つ中瀬さんは、「日本も、アメリカも恨んではいません。両方、愛する国です」と、世界の平和を強く願う思いを語って下さいました。

冒頭では、「ヒロシマの復興を助けた4人の外国人」と題し、①マルセル・ジュノー博士、②ノーマン・カズンズ氏、③フロイド・シュモ-氏、④ジョン・D・モンゴメリ博士ら、戦後、広島の復興に尽力し、その功績を讃えて広島市内に記念碑が建てられた4人の外国人について紹介をしました。


第13回 被爆体験を聞く会を開催

婦人部の広島女性平和委員会主催の第13回「被爆体験を聞く会」が広島池田平和記念会館で開かれ、原爆孤児の語り部である川本省三さんが講演をしました。

川本さんは原爆投下の3日後に学童疎開先から、爆心地より600メートル離れた実家に戻り被爆。両親やきょうだいを失い、原爆孤児に。当時まだ11歳。「町中にあふれた孤児がどうやって生きてきたのか。戦争の持つ残酷さを知ってほしい。それが原爆孤児を二度と出さないことにつながるから」と、語って下さいました。

またこの日の午前には、原爆犠牲者・戦没者追善勤行法要が、同会館で厳粛に営まれ、SGI(創価学会インターナショナル)の友も参加。イギリスから来日したクリストファー・ルーヴさん、フランチェスカさん夫妻は「ヒロシマの心は平和建設に絶対に必要な心です」と声を詰まらせながら語りました。


第12回 被爆体験を聞く会を開催

“核兵器は絶対悪である”との「原水爆禁止宣言」の叫びを広島から世界へ――!70回目の「原爆の日」を迎えた2015年8月6日午後、婦人部の広島女性平和委員会が主催する第12回「被爆体験を聞く会」が広島池田平和記念会館で開催され、被爆者の河田和子さんが爆心地2.5㎞で被爆した体験を語った。当時、13歳。皮膚が赤くただれ、人間の形相をしていない人々、無残に焼かれる多くの犠牲者。「まさに地獄絵図でした。戦争は勝っても負けても、多くの人々が殺され、損失しかありません。憎しみ合うのではなく、世界の人々が手を取り合い、当たり前の生活ができる平和な社会を築いていきたい」と平和への思いを披瀝した。
また、この日の午前には、原爆犠牲者・戦没者追善勤行法要が、同会館で厳粛に営まれた。
法要に参列した被爆者の方々は語った。
「一瞬にして大勢の人の生命を奪った原爆は、悪魔の兵器です。二度と使ってはならない」(岡部夫佐子)
「目の前の一人を救っていくことが、平和への一歩であることを青年部の皆さんに伝えたい」(玉置康子)

追善勤行法要 追善勤行法要